五の章  さくら
 (お侍 extra)
 



     寒 椿  〜 序 その一




 ここいらは大陸全体からすりゃあ丁度ど真ん中あたりになるからだろうか、四季折々という言葉が相応しい気候の変化とやら、確かに一年がかりでくるりと巡りはするけれど。何しろ荒野の真っ只中に穿たれた爆心地へ“いきなり沸いて出来ました”的に生まれ、そのまま発達したよな街だったりするものだから。大元はそりゃあドでかい戦艦か何かが墜落した残骸、その隔壁を基礎にして築き上げたという城塞の外へと出れば、ご対面することとなるのは、四季なんて関係ないほどの始終、途轍もない勢いの砂嵐が猛威をふるっている渺々とした荒野であり。周囲をそんな環境に取り巻かれていることが自然の要衝になっているこの街は、荒野を踏破せんとする旅人が必ず立ち寄ることから流通の要となってのどんどんと発展し。戦後のたった十余年というあっと言う間に、あちこちで広く名を知られているほどの中継地とまで成長したほど。殊に冬場の突風は一際 物凄いため、どんなに火急であれ、行き来するよな旅人は滅多に見ない時期でもあって。

 “まあ、もうじき暖かくなったら、にぎやかさも復活するのだろうがな。”

 そして、そうなったらなったで新たな事態が色々と出來
(しゅったい)しもするのかなと。渺茫たる景色を眺めつつ、おぼろげにそんなことを思い浮かべた男は、虹雅渓に新規設立されたばかりの“警邏隊”に所属する衛士だったりする。

 “春…か。”

 先の差配だった綾麻呂が私設警察のようなものとして組織していた“かむろ”の風雅さはない、ただただ実益優先の、いかにも武装警察といった装備で固めた一団が結成されたのは、その かむろ隊が自然崩壊し始めていたことを危ぶんだ、とあるお人の鶴の一声からのこと。綾麻呂様が失踪なさり、仰々しくも“御前”とまで呼ばれていた彼を…どうやら追放したらしいと噂される長子、新・天主になられたばかりだった右京様も、その最初の行幸の途上で凄絶な炎上事故に遭われての急死。流通の仕組みを掌握することで街を支配管理していた権勢者が、そんな格好でいきなり不在になったことで、すわ暴動が起こりの混乱の嵐が吹き荒れるのかという杞憂が、住人らの間に立ち上がりかけもしたのだが。この街はそもそも、税の取り立てやそれに必要だろう人別帳による管理やらにより ぎゅうぎゅうと締め付けるような支配に縛られていた土地ではない。綾麻呂様は自力で財を成し、台頭なさった商人で、この街の栄えようもそんな彼にぶら下がるようにして発展を見たようなもの。よって、どこぞかの殿様が差配へ支配を下げ渡したような、所謂“拝領の地”ではないがゆえの、自由自治の気風が濃かった名残りというものか。差配が不在になったからにはと、その座を巡る組主らの競争こそ始まってもいるのだろうけれど、だからといって、下々の民には生活がいきなり変わるでもなく。今のところは目立った混乱もないままに、まずはの冬を終わろうとしてもいるというところ。
“他の土地ではそうもいかぬらしいと聞く。”
 統制をつかさどる権力者が居なくなったその途端、様々な秩序が破綻した街も少なくはなく。よほどに鬱屈していた反動か、昔の大戦で落ちぶれてしまったクチの浪人が決起しての暴動が起き、民との衝突ののち焼かれてしまった街もあったとか。この街へもそういった危険な土地から逃れて来た民は結構いて、冬の嵐の間こそ寸断された往来だったが、そんな嵐が多少は緩んで交易の復活する春になったらば、今度はどのような民が紛れ込むやら、そしてその結果、どんな事態が出來するのやら。だがまあ、自分らを束ねるお人はそれはそれは人望厚き御仁だし、何より…混乱するよりそれなりの秩序で治安が安定しているほうが、商売もつつがなく運んでのその結果 利益も大きいと。血なまぐさい一獲千金よりも、安穏としていて息の長い、盤石な態勢を望む商人層がいまだ分厚く生き残っている土地なれば、そうそう混乱もなかろうというのが、ここの主立った方々の内にて大勢を占めている見解だそうで。そんな彼らがこぞって協力を惜しまぬと申し出てくれている限り、新規の警邏隊が活動、反感を持つ者がまるで出ないとは言わないが、それでも破綻は来たさぬのではなかろうかと……。

 “……んん?”

 そんなこんなを何とはなし、想い巡らせていた彼の本来の立ち位置は、街を囲む城塞のところどこに開いた、街道へと通じる関所の大門だ。これもかつての差配が、街を整備した折にそうと定めた代物で。人々の出入りを見張るのが目的の“関”をそのまま継承してのこと。長々述懐したように、彼が属する“警邏隊”には、厳密にいやあ旅人へも住人へも取り締まりを強制出来る権限はないのだが。今現在の広域における状況が状況なだけに、街の治安に害を為しそうなことが予測される輩は早い目に警戒するに越したことはなかろうと、隊長殿が定めなされた“見張り”のお役目。武力の暴走はいただけないが、それでも…非力な存在のほうが多い住人を、そしてこの街を守るためならば。刀も振るうし血も浴びよう、悪鬼と呼ばれてもかまわぬし、どんな誹謗も泥も受けようぞとする隊長殿の心意気を正しく汲んだ隊士たちであり。こちらの彼もまた、そんな心根のまま、生真面目に務めていたその張り番だったのだけれども。通過する人影なぞないに等しい季節と時刻。それでのつい、関所の大門からもっと外へと進み出ていたらしくって。

 「…あれは。」

 果てしのない荒野を年がら年中、特に決まりもなくの不規則に、縦横無尽に暴れまくる砂嵐だが。実は唯一、早朝未明のこの時間帯だけはその風が凪いで、黎明の青に満たされた中、得も言われぬ静けさが訪れる。果てしなく広がる眺望の中、青みを帯びて白々とした黎明が、暁の茜に少しずつ侵食されてゆく唯一の変化さえ、いつの間のことかと感じてしまうほど。時間が止まったように何ひとつ動く気配は感じられない、そんな絶景を呈すばかりの砂の荒野を満たすのは、耳鳴りがしそうなほどの透明感と静けさのみ。通過する旅人ではなくの、此処に住まわる者にしか判らぬことで。なればこそ、そのひとときの神秘的な静謐を眼福だとし、散歩がてらにわざわざ眺めに来る物好きなお人もいるらしいが、今はさすがに まだまだ寒さ厳しい頃合いだとて、そんな奇矯な風流人もおりはせず。職務使命のため居合わせた彼しかいなかった空間へ、

  ―― 一台の空艇がこちらへ向けてやって来るのが見えて。

 今までに見たことのない型のそれだったし、障害物が何もないせいで果てなく遠くまでを望めるその眺望の中、いつの間にか“空艇”と判る形になってやっと気づいたくらいだ。駆動音が随分と低く、

 “速度も尋常じゃあない?”

 それと素早く気づいたところは、さすがえり抜きの警邏隊隊士。二人以上で行動という原則から組んでいた相棒は、だが大門の方にいて、しかも居眠りの最中で。叩き起こしに戻った方がいいものかどうかと迷っている間にも、その空艇はどんどんと接近しており。ただ、
 “…接近している?”

 こんな時間帯の渡航者が全て怪しいとは言えなかろう。疚しい身ならば、一応は腰に大太刀を提げているこちらを見て、それなり警戒するものではなかろうか。まさか、いやそんな。何でもかんでも怪しいとは思うな。世の中捨てたもんじゃあないのだ、とんでもないお人よしが“世直し”紛いのこと、捨て身でやらかしたのを知っていると、隊長殿も仰有っていたじゃあないか。だが、もしかして“きかんじゅう”とかいう鉄砲を持っていたらどうしようか。私なんぞは若輩すぎて、実物を見たこともないけれど。とうに戦さは終わったのに、じゃんく屋とかいう廃品売買の業界じゃあ、すくらっぷに紛れ込ませて 今でもそんな武装のあれこれが流通しているとかいう話だし。虹雅渓ほど治安が良い街の方が珍しいという昨今、渡航者ほどそういう武装にも周到かも知れぬと、様々な疑心暗鬼ばかりが脳裏を駆け巡るばかり。青ざめたり赤くなったり、どうしたものかと焦るばかりな隊士のとうとうすぐ手前まで、くだんの空艇がほとんど音もなくのなめらかにすべり込んで来ていたり。やはり見たことのない機種に違いなく、全体的に偏平な印象があり、何と言っても操縦者が見えないほどすっぽりと、天幕だろうか幌で覆われているところが何とも怪しくて。かっちりした制服の腰へと装備した軍刀へ、ついのこととて手が伸びかけたが、

 「虹雅渓の警邏の方ですか? 朝も早いのにご苦労様です。」

 窓だけはかっちりと硬質の枠があるそこを支柱とし、操縦席だろうデッキの天蓋、風防となっている帆布のフード。それを、ファスナーの留め具をザリザリと引いて開け、立ち上がってひょこりとお顔を出したのは、随分と華やいだ面差しの美丈夫であり。引っつめにしたつややかな金の髪を頭の後ろで三つ叉のまげに結っているところが少々奇を衒っているけれど、そんなことをしなくとも、これほどの美貌の男を、若い隊士はこれまでの人生の中、こうまでの至近では一度も見たことがないと思ったほど。まだ朝日の気配の赤みよりも勝
(まさ)っている黎明の凍白から滲み出して来たかのような、深みのある白い肌をし、瞳は水色。玲瓏透徹、澄み渡っての麗しいばかりな風貌をし、
「関所の大門はもっと奥まったところでしょうに。暖かくなって来たので警戒も厳しくなったのですね。臨機応変、よくよくお気の回られることですね。」
 こんな先へまで出て来ていようとは、いやはや大したものだと。感心してのそれだろう言いようは、言い回しが軽妙洒脱であった割に、不思議と人を小馬鹿にしているようには聞こえなくって。芝居がかった力みがないのとそれから、声を低めてのお言いようの末、ちらりと視線を流したその先に、お仲間だろう同乗者の姿があったので。ああそうか、下手な騒ぎを起こしたいつもりはさらさらないのだこの男と。そんな意をさりげない格好で、隊士に伝えてしまったせいだろう。自分へと向けられた視線を、柔らかな所作とやはり視線を流すことでもって誘導しただけで、そこまでの背景、相手に読ませてしまったところは おさすが…と来れば。これが誰かはおのずと知れようが、

 「…街へ、虹雅渓へ入られるご一行か?」

 衛士としての任務中とあっさり見透かされた隊士殿が、お返しという訳じゃあないがついつい口調を改まったそれへと意識してしまったのは。こちらの美貌の君だけではそうと判断しなかっただろうが、同乗の存在がいかにも重厚そうな雰囲気をした壮年であったから。これは侍、それも“お武家”とお呼びすべきであろうと自然と思わせるほどの人物と、つい思えてしまったほどの存在感は、久々に感じたそれであり。虹雅渓には食い詰めた浪人も山ほどいるのに、そして そんな奴輩が機を得たと暴れやせぬか、それを一番に警戒して編成されたような警邏隊だのに。何故だろか、そんな連中と一緒にしてはいけないような気がした衛士殿。特に立派ないで立ちをなさっている訳じゃあないし、威厳に満ち満ちた眼差しでこちらを見据えておいでな訳でもない。こちらの彼と交替でこの空艇を操縦して来たものか、今は仮眠中らしく、瞼を降ろした寝姿でいるというのに。そんな姿からでさえ感じさせる、威容とでもいうのだろうか、そんな不思議な存在感のある御仁。全部は見えぬが随分と伸ばしておいでの、濃色の蓬髪に縁取られた彫りの深い顔容は、哲学者のような知性と老成が威風堂々と滲んでおり。だのに何故だか頼もしいまでの精悍さをも同居させているような。床へと敷布を重ねた上へ座り込んでおいでなので、上背のあるなしも判然とはしないのにね。なんでだろうかと、選りにも選って自分の直感へ小首を傾げていたところ、一応の砂避けにか、肩から羽織っていたらしき大判の毛布の、お膝の辺りが…不意にもぞもぞっと動いて盛り上がり、

 “…はい?”

 その動きと同時に、臥せられていた双眸を開いた壮年だったので。起きたと同時に手元でも動かしなさったかと思えば…さにあらん。毛布の重ね、合わさっていた縁がふわりと押しのけられて出て来たものがあり。目映いばかりの陽光の真下なぞではないせいか、座り込んでいた男の、そのまた懐ろという陰った位置、少々判然としなかったそれが、ふるふるとかぶりを振って見せたので、柔らかそうな毛並みは仔犬か仔猫か、それとも…?

 “あ…。”

 それもまた人だというのが衛士殿にも判ったのは、色白なお顔がちらと望めたから。夜っぴいての疾走という荒行で疲れていたのか、それとも荒野の夜の底はまだまだ寒かったからか。連れのお膝に身を寄せての熟睡をしていたらしい最後の一人。そこからのそりと身を起こした様子は緩慢だったが、上げられたお顔の作りは、これまた途轍もなく玲瓏にして端麗で。操縦席に立っていた美丈夫とはまた異なる風情の、華麗な容姿をした佳人である様子。毛布かそれとも大きめの外套か、その身を埋めていた布の重なりの中から腕を立て、むくりと身を起こした様は。年若い豹か狼か、そりゃあしなやかな肢体を持つ、だが どうしてだろか、獰猛な肉食の野獣を思わせてならず。この3人の中では最も痩躯で最も年少だろうと判るのに、それでもどうしてか、口も利かないままの冷たい美貌の下に、逃れようのない鋭利な刃を忍ばせてもいるような。お綺麗なのに危険でもある、そんな畏れ多いまでの神秘の気配をまとっているように思えてならぬ。彼もまた眠っていたものか、とほんと朧げな眼差しを上げ、

 「?」

 何かあったかとでも問うているのか、身を起こしたそのまま擦り寄って甘えることも出来よう間近から、お膝を借りていた壮年をただただ真っ直ぐ見上げており。見上げられた側の彼は彼で、何でもないと言いたいか、やんわりと目許を細めて微笑って見せはしたものの。

 「…っ。」

 その笑みを捉えるよりも先んじたような間合いで、寝ぼけ眼な彼を俊敏にも振り向かせたものがあったらしい。

 “…はい?”

 伏し目がちになり眠り足りなさげだった目元がすっかり冴えて、ちょっとお目にかかれぬだろう紅の双眸が、綿毛のような金絲を透かしてこちらを見やる。そう、こちらだ。
「な…。」
 今目覚めたばかりの、しかも初対面の存在に、そりゃあ鋭くも切りつけるような視線を向けられる覚えはない。だが、何だ何だと狼狽しもって泳いだ視線がよぎったところが、操縦席に立ってた方の若い男もまた、衛士殿を見やる目線がいつの間にか変わっており。少しばかり顔を伏せての強い目線で、まるで狙いを定めでもするかのように、こちらをしっかと見据える態勢になっているではないか。

 “え? え?”

 当然、衛士の側には疚しいものはなく。とはいえ、こうも鋭い眼差しを真っ向から向けられては…些少ほどでも心得があったからこそ尚更に、それへの対応へと身体が動きかかる。他に連れも無しと見て、ならば一息に畳んでしまおうという目配せでもし合ったか。となると この一行はやはり、何か怪しい目論みの一つや二つ携えてやって来た連中だということか? 二人の青年らの目線の勢いにのみ圧倒されて、思わずの事 じりと一歩後ずさりをし、だが、それ以上は引かぬと身構えた衛士が、落とし込んだ腰に提げた大太刀の柄へ手をかけんとした正にその時だ。


  ―― ひゅっ・か、と


 短くも鋭い風籟の音がした。あまりの短さに空耳と疑うような、だが、くっきり力強かった太さに、まだ早いはずの荒野の砂嵐が始まったかと錯覚させたほどの響き。その身へ迫っていた殺気のような視線の強さに圧倒されかけていた衛士が、ハッとしたのは、連れの二人の若いのの不躾さに倣ったか、いやさ、そちら様の表情には険がなくの、やはり至って穏やかなそれのまま。こちらを凝っと見やっておいでの壮年殿からの視線に気がついて。とうとう3人分となった視線を辿り、何とはなしに我が身を見下ろした衛士殿、


  「……………え?」


 外延検問の任に着くおりは必ず携帯装備することとなっているものの中、防具も兼ねているがため、本来は背中へ負う“背嚢”なのに体の前へ、胸当てのように提げよとなっている雑嚢があり。それの丈夫な布地の上の、衛士殿の腹あたりの高さのところへ、何かが震えて縫い止められているのが見下ろせて。全体の大きさはせいぜい大人の人差し指の差し渡しほどだろか、ただ、ぱたぱた振り回す尾が体の半分はあろう長さを占め、しかもその尾の先には強烈な毒を溜めた鉤爪を持つ甲殻類。砂漠の狙撃手とも死神とも呼ばれている毒虫ではないか。突然降って沸いたよな禍々しき存在に、今更ながらに背条を凍らせつつも、一体何が起きてのこのようなことにと、突き立った小柄の尻、それが飛んで来た方向へと顔を上げれば。目には見えない軌跡の向こう、真っ直ぐ先にいたのは…最も揮発性の低いままだった、蓬髪の壮年殿ではないか。顎先へと蓄えた年期の入った整いようの髭を、それが癖なのか撫でて見せた手には白っぽい手套。その手が伸びていたのは、懐手でもしていたものか、小袖風の内着の前を割った合わせ目からで。肩から羽織った毛布の影などではない、何とも予想外なところから覗いたその手から飛んで来た得物に相違ないと思われたが。

  ―― だとすれば何という腕を持った人物だろうか。

 身じろぎもせぬまま、つまりは大きく振りかぶって力やバネをその腕へ溜めることもなくの手首だけで。お顔の細かい判別まではつけにくいだけの、結構な距離を残したこちらの懐ろに留まってた、小さな小さな虫の胴を貫く手練れ。そんな彼から、

 「すまぬな。装備に傷をつけてしもうた。」

 響きのいい、何とも深みのあるお声を掛けられてしまい、

 「あ・や、いや、こちらこそ、忝なく…。」

 あたふたと返事を返したが、総身へと宿った驚きはなかなか収まらない。なりは小さいが、刺されておれば大人でもただでは済まぬほどもの毒を持つ虫だ。無論、見てそれと判っただけの知識はあったし、用心してもいたけれど。まだ寒風吹きすさぶ頃合い、活動してはいなかろと、すっかり油断していたことは否めない。文字通り 自分の身の上、こんな至近まで易々と這い上がられていようとはと、今更ながらその全身を冷ややかに凍りつかせていると、

 「そんな蟲がもう目を覚ましているのでございますね。」

 先程までの殺気に満ちた雰囲気はどこへやら、元の穏やかそうな物腰に戻っていたまげの男が感嘆したような声を放ちたのが聞こえ、もう一方の若いのも、すっかりとこちらへは関心を無くしたようにそっぽを向いて、身を寄せていた壮年殿のほうをばかり向いており。聞こえはしなかったが何かしら話しかけたのか、それへの返事の代わり、大きくて重たげな手で髪を撫でられたそのまま、くるんとその身を小さく丸めてしまうと、元いたお膝に蹲
(うずくま)り直している模様はやはり、人の大きさ・姿をした、だが、獰猛で素早くて途轍もなく危険なのに、何故かすこぶるつきの気品も同居する、何か大型の猫科の獣にしか見えず。


  ―― わっちらは 虹雅渓には入りません。
      大門より西っかわの、渓谷跡を辿って、
      一足飛びに次の街へ行くつもりなんでさあ。
      なに、この空艇は馬力が違いますんで、
      あしたの昼には何とか辿り着けることでしょうよ、と。


 操縦手の伸びやかなお声がさらさら流暢に語った文言もろくに聞こえてないまま、呆然としている衛士殿の前を颯爽と、平べったい機体をすべらせるようにして発進してったご一行。何とも鮮やかだった顛末ごと、全部が夢か幻のようにも思えたけれど、毒虫が刺さったままなカバンと、それを縫い止めた、自分の持ち物としては覚えのない小柄
(こづか)とが、現実だったことを裏付ける。


 『ただ一人、最初から最後まで落ち着いていた壮年が、
  まるで…二頭の優美で綺麗な恐ろしい獣を従えた、
  どこか別世界の、何かを率いておいでな覇王のようにも見えたんだって。』


 そんな馬鹿なと笑って取り合わない同僚たちへ、だが、いつまでもそうと言い張った彼は、その男らの内の二人ほどのお顔と、のちにとある雑誌の挿絵の上にてご対面することとなるのだが。今度はあまりに有名なお人らをつかまえての言ということで、やはり相手にされぬままであったらしい。曰く、


  ―― あの“褐白金紅”が何でまた、
      小さな毒虫退治をせねばならぬのか、と。






←BACKTOPNEXT→***


  *もちょっと続く。(苦笑)


戻る